札幌地方裁判所 昭和59年(ワ)882号 判決 1986年5月23日
原告
林清美
右訴訟代理人弁護士
三津橋彬
高崎暢
右訴訟復代理人弁護士
長野順一
被告
まこと交通株式会社
右代表者代表取締役
福原信吾
右訴訟代理人弁護士
山根喬
右訴訟復代理人弁護士
伊藤隆道
主文
一 被告が昭和五八年三月二日原告に対してなした解雇の意思表示は、無効であることを確認する。
二 被告は、原告に対し、九〇九万九七九四円及び昭和六一年四月以降毎月七日限り、八七〇一円に前月の一日から末日までの日数を乗じた金員を支払え。
三 原告のその余の請求を棄却する。
四 訴訟費用はこれを一〇分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
五 この判決の第二項は、二〇〇万円を限度として、仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 主文第一項と同旨
2 被告は、原告に対し、昭和五八年四月七日限り一一万六八五〇円、同年五月以降毎月七日限り九四八〇円に前月一日から末日までの日数を乗じた金員を支払え。
3 訴訟費用は被告の負担とする。
4 第2項につき仮執行宣言の申立て
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 被告は、一般乗用旅客自動車(ハイヤー、タクシー)運送事業等を目的とする株式会社であり、原告は、昭和五五年一一月五日(本採用は、昭和五六年七月一日)、被告会社にタクシー乗務員として雇用されたものである。
2 被告会社は、昭和五八年三月二日原告に対し、被告会社の就業規則三四条一項に基づくものとして、解雇の意思表示(以下「本件解雇」という。)をした。
3 しかしながら、本件解雇は、次のとおり解雇権を濫用したものであり無効である。
(一) 被告会社の原告に対する本件解雇の理由は、原告の心臓が刺激伝導路に障害を起こし、いわゆる完全房室ブロックとなつたことが、被告会社の就業規則三四条一項に定める「身体の故障により業務に耐えられない」場合に該当するというものであるが、原告は、完全房室ブロックの診断を受けた後の昭和五八年一月六日に体内式の人工心臓ペースメーカー(コルディス・オムニスタニコーガンマー、以下「本件ペースメーカー」という。)の植込み手術を受けたことにより、刺激伝導路の欠陥は補われ、従来どおり被告会社においてタクシー乗務員として稼働することの支障はなくなつたのであるから、右就業規則三四条一項には該当しない。
(二) また、原告は、本件解雇に先立つて、被告会社に対し、原告が完全房室ブロックにより心臓ペースメーカーを装着している状態で被告会社において勤務することに支障はない旨の診断書を提出しているのであるから、被告会社としては、右診断書を作成した医師に原告の病状の詳細について問い合わせる等の的確な事実確認を行い、それに基づいて解雇事由の存否について十分な検討を経るべきであつたにもかかわらず、右のような事実の確認及び検討を経ずに本件解雇を行つた。
(三) 右(一)、(二)の事実に照らすと、本件解雇は、被告会社の就業規則に定める解雇事由に該当する事実がないにもかかわらず、かつ、十分な事実の調査、検討を経ずになされたもので、解雇権の濫用に該当し無効である。
4 原告は、本件解雇当時、被告から毎月七日限り平均日額九四八〇円に前月の一日から末日までの日数を乗じた金額に相当する賃金の支給を受けていた。
5 よつて、原告は、被告に対し、本件解雇が無効であることの確認を求めるとともに、本件解雇の日の翌日である昭和五八年三月三日以降の賃金として、毎月七日限り、本件解雇がなければ被告会社における労働によつて得べかりし一日当たりの賃金額九四八〇円に前月の一日から末日までの日数(ただし、昭和五八年三月は二九日として計算する。)を乗じた金員(ただし、昭和五八年四月七日に支払われるべき同年三月分については、解雇予告手当として受領した一五万八〇七〇円を控除した一一万六八五〇円とする。)の支払を求める。
二 請求原因に対する認否及び反論
1 1項は認める。
2 2項は認める。
3 3項は争う。被告会社の原告に対する本件解雇は、後記被告の反論のとおりの経緯に基づくものであつて、正当な解雇権の行使である。
4 4項のうち、原告の賃金の平均日額は否認し、その余は認める。原告の平均賃金日額は六五八六円である。
5 被告の反論
(一) 原告は、昭和五七年一二月二〇日、胸が苦しくなつたため、夜間救病センターで応急手当を受け、同月二一日、訴外医療法人社団清和会南札幌病院において、心臓機能障害である完全房室ブロックと診断され、昭和五八年一月六日、右胸部に本件ペースメーカーの植込手術を受け、その後身体障害者福祉法に基づいて身体障害者の認定を受けたが、その等級は、最も重篤な障害に該当する一級であり、当該認定は、本件ペースメーカーの装着によつても変わりがない。
(二) 道路交通法六六条には、過労、病気、薬物の影響その他の理由によつて正常な運転をすることができないおそれのある状態で車両等を運転してはならない旨定められているが、特にタクシーは、公共の交通機関であるから、タクシー運転手には乗客を安全に輸送する使命があるとともに、歩行者等他の交通関与者の安全を守るため、事故を未然に防止する責務があり、そのため常に高度の注意力が要求され、精神的緊張を強いられるものである。
(三) また、被告会社の乗務員は、その一回の勤務時間が一八時間(実働一六時間)であり、繁忙期には勤務時間を延長することもあつて、長時間労働及び深夜労働に従事するのみならず、一日の走行距離は三二〇キロメートルから三六〇キロメートルに達し、冬期間においては、積雪、路面凍結等のために、車両の飛出しや積雪への突入等の事故が起こりやすく、このような場合、タクシー運転手は、スコップ等を用いて自力で脱出しなければならないことがある。したがつて、被告会社におけるタクシー運転業務は、極めて高い精神的、肉体的疲労を伴うものである。
(四) ところで、原告は、ペースメーカーを装着しているが、そのペースメーカーは一定の心拍数を維持するだけであるから、原告が右一定の心拍数を超える心拍を要する作業や運動をすることはできないし、ペースメーカーそのものについても、故障による呼吸困難、めまい、失神等が起こる危険性や、他の電気製品等に接近することによつて故障が生じる危険性が指摘されている。したがつて、原告のようなペースメーカー装着者がペースメーカーの能力の範囲内で、かつ、その安全性を維持しながら、被告会社の乗務員として安全に稼働することは不可能である。
(五) そこで、被告は、原告をタクシーの乗務員として従業させることがタクシー輸送の安全を害するものと判断し、タクシー乗務を除く他の作業又は事務職への配置転換を検討した。しかし、被告会社の作業職は、高圧電気を利用したり、電気溶接を行う必要があるため、原告の装着しているペースメーカーに悪影響を及ぼす危険があつたし、また、事務職については、本件解雇当時の被告会社が業績不振や経営の合理化による人員削減を実施していた最中であつたことから、原告を受け入れる余地がなかつた。
(六) 以上の次第で、被告は、原告の完全房室ブロック症状が被告会社の就業規則七二条四項に就業禁止事由として定められている「心臓病その他の病気にかかつている者で、就業のために病勢が著しく悪化するおそれのある」状態に該当し、同規則三四条一項の「身体の故障により業務に耐えられない」者に該当すると認め、昭和五八年三月二日原告に対し、本件解雇の意思表示をしたものである。
三 被告の反論に対する認否
1 (一)は認める。
2 (二)は認める。
3 (三)は認める。ただし、仮にタクシーが道路端の雪の中に突入したとしても、その脱出に殊更の体力を要するものではない。
4 (四)は否認する。原告が装着している本件ペースメーカーは、一分間に七〇回の心拍数を保つように設定されているが、原告の自力心拍数が一分間に七〇回を超えるとペースメーカーは自動的に停止する。したがつて、原告の心拍数が運動により上昇したとしても異常は生じないし、原告が使用している本件ペースメーカーは、他の電気器具等からの干渉に対し防禦し得る機能を有しているから、一般健常者と比較して殊更に加重されるような禁忌事項はない。原告は、本件解雇後も日常的に自家用自動車を運転しているし、北海道内を政党の選挙用の自動車を運転して数千キロメートルにわたつて走行したり、家具を運搬、配達する等したが、それらの際に何らの支障も生じなかつた。
5 (五)は知らない。
6 (六)のうち、被告が、昭和五八年三月二日原告に対し、被告会社の就業規則七二条四項、三四条一項を理由とする解雇の意思表示をしたことは認めるが、その余は争う。
第三 証拠<省略>
理由
一請求原因1及び2の事実は当事者間に争いがない。
二そこで、本件解雇が解雇権を濫用した無効なものであるかどうかについて判断する。
1 <証拠>によれば、次の事実を認めることができる。
(一) 本件解雇当時の原告の心臓疾患は、心臓の拍動を促す洞結節から心室に至る刺激(興奮)の伝導路のうち、房室結節からヒス束までの部位における刺激伝導機能が全く失われたもので、刺激伝導路障害のうち「第Ⅲ度房室ブロック」又は「完全房室ブロック」と称する症状に該当していたが、自発の心拍が完全に停止していたわけではなく、房室結節又は心室自体の自動性によつてある程度の心拍(診察時の最小心拍数は毎分三六回)があつた。そのため、原告は、完全房室ブロック症状を自覚した昭和五七年一二月二〇日にも札幌市南区真駒内の自宅から同市白石区の札幌呼吸器科センター及び被告会社を経て帰宅するまでの延約五〇分間にわたつて自家用自動車を運転したが、その間、自動車の運転に支障はなかつた。
(二) 原告の安全房室ブロックの原因となる疾患は不明であるが、原告の症状において特徴的なのは、心電図、血液中の酵素の測定結果等によつても、心筋自体の障害は全く認められず、心臓機能の障害は刺激伝導路のみに認められることであり、したがつて、適切な治療手段により刺激伝導路の欠陥が補われれば、原告の心臓機能は健常者とほぼ異ならないものとなると考えられる。
(三) 原告は、昭和五八年一月六日に本件ペースメーカーの植込手術を受けたが、本件ペースメーカーは刺激伝導路の障害を補う機能を有するものであり、原告の心拍数が毎分七〇回を下回ると自動的に作動して心拍数を毎分七〇回に保ち、原告の自発心拍数が毎分七〇回を超えると作動を停止するいわゆるデマンド型のペースメーカーであり、このペースメーカーの機能が十全であれば、前記の原告の心臓機能障害の特徴からみて、原告の心臓機能は健常者の心臓機能とほぼ異ならないものとなると考えられる。
(四) ペースメーカーは臨床において用いられるようになつてから既に約三〇年(わが国においては約二〇年)の歴史があり、その間に豊富な臨床例の蓄積と機械の改良がなされ、当初ペースメーカー装着者に対し、外的な電気刺激を避けることなど多岐にわたつて課せられていた禁忌事項も、近時では防禦機能の開発等により、著しく少なくなつており、原告の体内に植え込まれた本件ペースメーカーは、他の電気器具等からの干渉に対し防禦機能を有し、その保守及び管理も、定期の診察を受けることによつて容易になし得る状況にある。
(五) 医学関係の文献中には、ペースメーカー装着者の自動車運転は禁止されるべき旨の医師の報告例(乙第八号証)もあるものの、他方、昭和四五年八月にペースメーカー装着者に対する自動車運転免許を停止していた英国において、その後昭和五三年までの間に右措置が緩和され、医師の証明があれば運転免許を取得できるようになつた旨及び昭和五三年当時にはペースメーカーの安全性が自動車のエンジンや電気器具からの干渉を排除し又は防禦し得るまでに高まつた旨の報告(乙第七号証)がある。また、最近のわが国の医学文献には、原告のような一般作業心筋に異常のないペースメーカー装着者の日常生活に関し、「具体的には、普通の日常生活はもちろん、散歩、入浴、買物、旅行、ハイキング、トレッキング、水泳などなんでもできるし、仕事の面でも重労働でない限り元の職場に復帰できる。(中略)とにかく、無茶さえしなければ大抵のことは何でもできると考えてよい。」との記述をしているものがある(乙第九号証)。更に、原告を診察した医師才善宣雄は、原告が被告会社において従来どおりタクシー乗務をすることに何ら支障はない旨診断している。
以上のように認められ、右認定を覆すに足りる的確な証拠はない。
右認定事実によれば、本件解雇時における原告の心臓機能の障害は、刺激伝導路に限られた機能障害であり、本件ペースメーカーの装着により、右機能障害による心臓機能の欠陥は健常者とほぼ異ならない程度に補われたものというべきである。一方、弁論の全趣旨によれば、被告会社におけるタクシー乗務員としての業務は相当な体力を要するものであることが認められるが、本件ペースメーカーを装着した原告が右業務に耐え得ないとする十分な証拠はない。
してみると、原告の本件解雇当時における心臓機能障害が被告会社の就業規則三四条一項にいう「身体の故障により業務に耐えられない」場合に該当すると認めるのは困難である。
2 <証拠>によれば、次の事実を認めることができる。
(一) 被告は、本件解雇に先立つ昭和五八年二月二五日原告から、完全房室ブロックにより心臓ペースメーカーを植え込んだ旨の診断書を受領した。
(二) そこで、被告は、その翌日被告会社の役員会において協議した結果、右診断書には、原告の症状につき勤務にさしさわりがない旨の記載があるものの、原告に対しては、既に右心臓機能障害により障害度一級として身体障害者の認定がなされていることから、原告が被告会社におけるタクシー乗務に耐えられないと判断し、被告を解雇せざるを得ない旨決断した。
(三) しかし、被告は、本件解雇までの間に、前記診断書を作成した医師才善宣雄又は他の医師に対し、原告の症状や本件ペースメーカーの安全性について意見を求めておらず、また、原告の診療録を取り寄せ、専門家の意見を聞くといつたような調査、検討もしなかつた。
(四) 原告は、右心臓機能障害により身体障害者福祉法の障害度一級の身体障害者の認定を受けたが、右認定は、福祉政策上ペースメーカー等の補助具を除外し、障害自体の程度に応じて行われるものであり、本件ペースメーカーを装着した状態における原告の身体的障害の程度を表わすものではない。
以上のように認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
右認定事実によれば、被告は、原告が完全房室ブロックにより心臓ペースメーカーを植え込んだこと及び右症状により障害度一級の身体障害者としての認定を受けたことから、それ以上の調査、検討を何らすることなく、原告の心臓機能障害が被告会社の就業規則三四条一項に定める解雇事由に該当すると速断し、本件解雇を行つたものであると認められる。
3 右1及び2に認定、判断したところによれば、本件解雇は、正当な理由に基づかないものであり、解雇権を濫用したものとして、無効といわざるを得ない。
三被告会社が、原告に対する前月の一日から末日までの給与を毎月七日に支払っていたことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、原告は、昭和五七年六月から同年一一月までの給与として合計一三一万四四六九円の支給を受けており、右六か月(一八三日)間の平均給与日額は、七一八二円(円未満切捨て)となること、被告会社は、支給額に若干の変動があるものの、従業員に対し、毎年六月と一二月に賞与を、毎年一〇月に暖房費補給手当を支給していたこと、原告は、昭和五七年六月一〇日に八万三六二六円、同年一二月一五日に三〇万五九一〇円の賞与の支給を受け、同年一〇月二六日に一六万五〇〇〇円の暖房費補給手当の支給を受け、右賞与及び手当の合計額は五五万四五三六円となること、したがつて、これを三六五で除した年間平均日額は、一五一九円(円未満切捨て)となることがそれぞれ認められ、右事実によれば、原告が被告会社において稼働することにより得べかりし賃金の平均日額は、七一八二円に一五一九円を加えた八七〇一円と認めるのが相当である。
なお、被告は、労働基準法一二条の平均賃金計算方法に基づいて、原告の賃金の平均日額が六五八六円である旨主張するが、労働基準法一二条に定める平均賃金は、同法の定める解雇の予告手当(同法二〇条)、休業手当(同法二六条)等を算出するためのものであつて、本件のように無効な解雇に基づいて就労を拒否された労働者が、就労拒否がなければ得ることができたであろう通常の賃金額を算定する場合には妥当しないものと解するのが相当であるから、この点に関する被告の主張は採用しない。また、被告主張にかかる原告の平均賃金日額は、賞与と暖房費補給手当を除外して算定されているが、賞与は労働に対する報酬として支払われる賃金であると解するのが相当であるし、暖房費補給手当も本件解雇がなければ原告に支払われるべきものであると解するのが相当であるから、原告が昭和五七年中に被告会社から支給を受けた賞与及び暖房費補給手当も原告の得べかりし賃金の平均日額を算定する基礎に加えるべきである。ただし、賞与及び暖房費補給手当について平均日額を算定する場合には、一年の総支給額を三六五日をもつて除するのが相当であるから、原告主張のように暖房費補給手当と期末賞与の合計額を半年の日数だけで除する算定方法は採用しない。
したがつて、被告は、原告に対し、昭和五八年三月分の賃金九万四二五九円(同月三日から同月末日までの日数二九日分に相当する二五万二三二九円から解雇予告手当一五万八〇七〇円を控除した額)及び昭和五八年四月分から昭和六一年二月分までの賃金九〇〇万五五三五円の合計九〇九万九七九四円並びに昭和六一年四月以降毎月七日限り、八七〇一円に前月の一日から末日までの日数を乗じた金員を支払うべき義務がある。
四よつて、原告の本訴請求は、被告に対し、本件解雇の無効確認を求める部分並びに九〇九万九七九四円及び昭和六一年四月以降毎月七日限り、八七〇一円に前月の一日から末日までの日数を乗じた金員の支払を求める限度で理由があるから認容し、その余は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官園尾隆司 裁判長裁判官木下重康及び裁判官森邦明は、転補につき署名捺印することができない。裁判官園尾隆司)